幼児英語教育に関して思うこと。林修氏の主張は正しいのか?

これって、喧々諤々のテーマで、非常に難しいテーマだと思う。

以前も、林修氏が「低年齢の英語教育は思考力形成を阻害する」といった持論を展開していた。

同時に「特に英語耳を鍛えられるのは幼児期までで、ある年齢を超えると難しい」というのも定説で、

このテーマに関しての意見というのは割と極端に分かれているような気がする。

自分はそんな中で「どっちも一理あり」という立場で、正直難しいし、子供の個人差も大きい、と考えている。

セミリンガル(いずれの言語も中途半端になり、思考力が劣る状態)という現象

林氏が主張しているのは、この状況だと思う。

これは現実に、外国で暮らしている日本人家庭とか、両親が国際結婚で特に父親側の国に暮らしている家庭とか、子供が両言語ともある程度は話せるのだが、同年齢のモノリンガルの子供に比べて思考が遅れがちということが時々見られる。

例えば日本語と英語を話す子供だとして、同年齢の日本語しか話さない同級生に比べて日本語が劣るので、読める本のレベルも低いし、耳から入ってくる情報も少なくなってくる。親が見ているニュースをある程度理解できる子供と、全く雑音でしかない状態など。

そうなってくると、思考というのはある程度持っている情報を元になされるものだから、両者の間にはインプットの差によって決定的な思考力の違いが生まれる、ということ。

言語力のレベルというのは、すなわち思考力にも直結するというのはそういうことなのだ。

特に日本語と英語(や、ヨーロッパ言語)だと起こりやすいかもしれない)

この子供の多言語教育についてのテーマは何も日本人に限ったことではなく、世界中で関心を持たれやすいテーマで、筆者も英語でこのテーマについての研究について読んだことがあるけれど、結構肯定的な結果が出ていることが多かった。

つまり、子供が複数言語を使う環境に育った場合、その思考力や知力もアップした、という研究結果を見ることが多い。

ただし、この研究は、ほとんどヨーロッパ言語同士の事例。ヨーロッパ言語同士なのだから、語彙も複数学ぶことによって、ラテン語の由来を知ったり、相乗効果になることがあるのだろう、と思う。

また、ヨーロッパ言語でも系統はあれど、根幹はやはり似ているし、言語的発想も似ている。

しかし、日本語と英語、もしくはヨーロッパ言語というのはかけ離れていて、全く異なる言語思考チャネルに切り替えなくてはならない。

だからオランダ人の子供が英語を学んでいて、オランダ語と両言語操る時の思考スイッチの切り替えとは全く異なると思う。

つまり日本語と英語を同時に学んでいくというのは、相乗効果というのは生まれない関係であると思う。英語を吸収することが日本語力の増強にはなりにくいし、反対もそうである。

例えば、日本語と韓国語というのであれば、相乗効果というのはあるのかもしれない。

とは言っても、それだけ違うからこそ、ある程度の年齢を超えると難しくなる

これは実感。

自分は一般的な日本人からすると、現在は英語もペラペラに見える方なんだと思うが、そのレベルになって実感する限界があるのだ。

まず、聴き取り。自分はRもLもそれなりに発音できていると思う。英語耳ドリルのおかげで、そのことを指摘されたことはない。BとVも然り。

だが、自分が意識して発音できても、聴く方となると、これがまだ克服できてないのである。

もちろん普通の日本人よりは聴き取れているのだけれど、正直言って文脈から単語自体を判断しているところも多いと自覚している。

次に、英語を話すマインド。また感覚。これがなかなか日本人の日本語感覚を抜けられない。

これはある程度の英語力(他の外国語でもいいけど)がある人なら実感できると思うのだけど、言語というのは語彙があって文章構成力があって発音が正しければ話せるものじゃない。

それぞれの言語に、それを話す流儀っていうのがあって、それを感覚的に体得していないと表面的な会話ならともかく、ガッチリとした議論などはできにくいのである。

これはMBAでものすごく実感したことで、例えば日本人は議論といっても順番に話すような作法がある。誰かが話している時には皆頷いたりしながら聴き、基本的に遮ってはいけない。

ところが英語の議論はそうじゃない。相手が話すそばから何か疑問があればどんどん話すし、自分が話していても相手のツッコミに返したり、それでも自分の主張を続ける話術がないと負けるのである

MBAの日本人学生は周りの学生からシャイだと思われていた。なんだかいつも静かで、しかし後からきちんと勉強していないとできないまとめ方をしてきたり、後から提出してくるものがしっかりしてるからだ。何でこんなにわかっているのなら話さない?シャイだからだ。そう思われていた。

しかし当の自分はわかるわけである。

いや、英語力が及ばないから話に入っていけないんだよ、と。IELTSやTOEFLのスピーキングのテストで合格点を取っても、実践の議論に耐えられるような、「英語を話す感覚」が備わってなくて、マインドが日本語と同じだから、どうやって話に入っていいかわからないのである。

彼らは、落ち着いて話させれば、きちんと話してるんだから英語話せるじゃないか、と思ってるが、それは違うのである。

これはやはり低年齢から英語を話す環境にいないと備わらないのではないか、と自分は考えている。

日本人だから日本語を!それは正論。民族感情としても正しい。しかし…

自分は結構、日本人としてのアイデンティティは強い方だと思っている。だから日本語への愛着というものもあるし、日本人ならきちんとした日本語を使えるべきだ、とも思っている。

だけど、現実には日本語は国際語ではなく、将来日本に留まるだけではなく、もっと選択肢を増やしたいなら、やはり英語というのはできた方が圧倒的に便利なのである。

MBAのクラスメートは英国人は少数派で、アフリカの人、インドの人、中南米の人など色々いたわけだけど、アフリカの人、インドの人というのは、旧英領だったこともあって、「学校の言語は英語」というのには何の疑問もなく育ってきた人たちだった。

またマレーシアから来た人(華人なので母語は中国語)も英国系の学校に育って、そういうところがあった。

特にアフリカの人というのは、「ローカル言語というものを持つが、自分たちは英語ネイティブでもある」というような感覚の人が多かったような気がする。

そして、彼らはその英語力でもって、MBAの中での発言力が日本人より圧倒的に大きいわけである。

自分はMBAへの留学を通して、このことをよく考えるようになった。留学以前は、「日本人が日本人として英語を話せるようになれればそれでいいじゃないか」と思うところがあったけれど、実際にそれでは限界があるということを…

子供が、日本語ではない別言語の世界、というのを知るのは悪くないと思う

例えば、両親とも英語があまり話せないのにインターナショナルスクールに入れる、というのはなかなかの賭けで、実際にセミリンガル状態になるようなことも出てくるのかもしれないが、

英語の世界を経験させる、というのは自分は良いことであると思う。

まず英語の各音の聴き取りは、大人になってからはなかなか克服できない、これは事実だと思う。

だから英語の歌などを繰り返し聴かせて、日本語にはない音に慣れさせる、ということ自体に何か思考形成に悪影響があるとは思えない。

また、日本語ではない言語で会話してみる、ということ自体も、幼いうちから慣れている方が良いと思う。

中学生以降、日本語的マインドが完全に確立されている状態で、さらに日本人同士の「英語なんか話すのいけ好かない」というような空気があってからでは、心理的な弊害が大きすぎる。

自分はこれは過度期だと思う。

英語が全くできないわけではないが(受験で普通に得意にしていた過去の自分など)話せるとは言えない人、特に知識人ほど、セミリンガルの弊害を訴えて低年齢での英語教育に反対している傾向があると思う。

自分もそうだったし、実際友人が子供をインターナショナルスクールに入れようかと相談を受けた時に、同じような意見を言ってしまった事がある(自分のその時の英語力はTOEICで800点台くらい)。

でもMBAに行った後に、かなり考え方が変わってしまった。

自分には子供がいないが、幼い甥などの英語教育に関して妹に相談されると、積極的にやらせた方がいいとアドバイスしている。

実際に彼は3歳ごろまで、このシリーズの歌が大好きで、繰り返し聴いていたので、5歳の今も英会話教室で先生の話をかなりの程度理解しているようである。

結局のところ、子供の言語能力には個人差があるので、セミリンガル状態だと思われる子供が、実際にモノリンガルで育っていたらもっとその一言語の能力が高まったか、というのも疑わしい。

TVをつければ、いわゆる「おバカタレント」と言われる人が年齢に見合わない語彙力で日本語を話しているが、日本語しか話せなくてもその状態なのだから…

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