英語を趣味とするのか、英語で人生を変えるのか

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成人英語学習者には2通りある

社会人になってから英語学習をコツコツとしている人は大きく分けて2通りあると思う。

一つ目は、海外旅行で英語で困らないようにしたい、映画をもっと聴き取れるようになりたい、とにかく英語を喋れるようになりたい、

という趣味型タイプと、

TOEICのスコアをもう少し上げて海外事業部への転属を認めてもらいたい、転職活動に役立てたい、MBA留学したい、起業家として国際的に展開したい、

という英語で人生を変えたいタイプである。

自分の場合は人生を変えたいタイプだったので、当初は転職活動に有利となるTOEICのスコアを目標にしたり、そして最終的にはMBA留学を志すこととなった。

 

両者の特徴

以前はこの両タイプに特徴がそれぞれあるとか、傾向があるとか意識したことはないが、高じた今、ある特徴があると思う。

趣味型タイプはとにかく英語の細部にこだわり、ネイティブみたいに英語ができるというのを究極の目標にしている人。

人生変えたいタイプは、とにかく英語は手段でしかないので、ある程度まで行き、それなりのレベルに達したら多少下手でも開き直って英語を使う人。

今、後者の立場としてある程度まで英語が当たり前に自分の日常生活で使う言葉となって思うのは、後者である方が結局英語は上達が早かったと思うし、気楽だったなということ。

意外なことだけど、そう思う。

 

なぜ「人生変えたいタイプ」の方が気楽に上達するのか

人生かかってるから必死になる、とかそういうことではなくて、とにかく「英語なんてツール」って割り切っているので、ネイティブみたいになろうなんざ、さっさと見切りをつけるからである。

自分は途中で発音矯正もそれなりにがんばったし、MBA留学時には「日本人の訛りがないね」とか「前も英語圏に留学していたのか」とは訊かれたが、それも「日本人にしては上手」レベルの話である。

なんで発音矯正をがんばったかといえば、途中でやっぱり、あまりにも発音に問題があると相手にされないということに気づいたからだ。

同じように文法的に破綻している英語を喋っていても、発音がそれなりだと聴いてもらえる。しかし発音が壊滅的に悪いと、どんなに完璧な英文を喋っていても「こいつは英語が喋れない」と見放されてしまうわけ。

なので、あくまで「外国人だけれども英語が喋れると認識してもらえる」レベルを目指しただけ。

これが「ネイティブみたいに」までこだわると、そこだけにかなり時間が必要になってしまう。

そこまでこだわることに時間をかけるよりは、語彙を増やしたり表現、言い回し、反応の速さに磨きをかけた方が、今度は「外国人だけれど知的だ」という英語になる。

なんだか発音はネイティブみたいだけど言ってることめちゃくちゃ、よりもプラスである。

日本だって、やたらに日本語が流暢だけど、語彙が少なくて「マジで?そうかも知んねえ」なんて日本人みたいに話してる外国人がいても、不良外人だなと信用しきれないのと同じ。

それよりは少ししゃちこばってるけど熟語とか多用している外国人の方が信用できるわけ。

そして人生変えたいタイプは、ネイティブが話す英語というのではなく、あくまで「国際語」としての英語を身に付けようとしているから、ある程度までいったら自分がMBAに飛び込んだみたいに、堂々と「日本人として英語を喋る」という感じで実践に入るところ。

もちろんそれで「ああ自分って英語できないなあ」と凹むシーンはいくらでもあるんだけど、割り切ってるから素直に吸収していける。

その結果、上達してきたと思う。

こう考えるのは自分が昔は結構「趣味型」なところもあって(特に学生の頃)、変なプライドで自分より英語が上手な人の前で喋るのを憚ったりしてたところがあるので、徐々に割り切った結果、本当に当たり前に喋れるようになった、と思ってる次第。

 

 

 

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