あれは差別なのか?トランプに”I really don’t understand you”と言われた日本人記者。

先月、中間選挙後の記者会見で質問した日本人記者にトランプが

“I really don’t understand you”

と返すシーンがあった。

このことについてネット上では、アメリカ人も日本人も多く話題にしていた。

今回はその話題に触れてみようと思う。

 

記事を読んだ際の想像と、実際の場面を見た後の印象は異なった。

この出来事について知ったのは記事からだったので、トランプ氏が例のごとく傲慢に日本人記者を無視するかのような態度を取ったのかと想像した。

しかし、こちらの動画を見ると、想像とは異なった。

これを見ると、トランプ氏は記者の質問を聴き取ろうとしたができずに”I really don’t understand you”と言ったが、その後の日本人記者から”trade with Japan”をキャッチすると、そこから自論を語っている。

少なくとも切り捨てるために言ったわけではないようだ。

記者の英語力への批判と、擁護派の意見

この議論で注目すべきは、トランプの”say hello to Shinzo” というのが日本人記者を茶化していて、”I really don’t understand you”というのも「バカにしている」と憤慨していたのは、反トランプ派のアメリカ人ばかりで、日本語のネットの方で多く見受けられたのは

「この記者、発音が悪い。もっと英語ができるのを送り込めよ」

という意見だった。全ての投稿を見たわけではないが、日本人の方が日本人記者の英語に手厳しい、というのは、まさによくある「日本人同士の英語への牽制」そのものという感じだった。

そうした日本人の辛口な意見に反対の意見を唱えていた日本人というのは、むしろ長野智子氏のような「英語を話す」人だったように思う。

英語圏ネイティブ達の傲慢さ

とはいえ、トランプ氏をracistと批判している米国人たちが、日本人英語への普通のアメリカ人の反応なのかというと、全くそんなことはないと思う。

自分の印象では、彼らは常に反トランプ派であり、機に乗じて批判する、その一貫だったように見える。

英国に留学する以前もアメリカやカナダで過ごした経験から言って、基本的に英語圏の人間は言語に関して傲慢な人が多く、「人が英語を話すのは当たり前」と考えている。

彼らはむしろ英語が中級以前の人の英語を褒め、それ以上になると厳しくなりがち、というのは英語力がそれぞれの段階で英語圏で過ごした経験のある人なら誰もが納得することだと思う。

自分も定型的なやりとりはそれなりにできるが、そこを離れると全然ダメ、という大学時代にアメリカやカナダにいたことがあるが、そういう時の方が褒められることが多かったと思う。

おそらくこの時は、褒めてくれるような人としか接触してなかったのもあるだろうし(苦笑)、むしろそれくらいの英語力でいる方が相手に「英語が完全に外国語なのだ」と意識させるのだろうと思う。

しかし、それなりに喋れるようになればなるほど、向こうは「英語がこの人の母語とは全く似てない言語で、英語が喋れる努力をこの人はしてきたのだ」ということを忘れるのではないかと思う。

そういう時に、何が起こるかというと、単純に言語レベルでのみ優位である、ということを忘れて、相手の見識や知性そのものが自分より劣る、と錯覚するようなのだ。

これは外国人が日本語を話していると「どうしてそんなに喋れるんですか」と尋ねる日本人が想像しにくいことなのだが、それでも日本人の間にも時々生じている現象で、カタコトのアジア人や、アフリカ系の芸能人を「いじる」場面はTVで時々出てくる。それを思い返してみて欲しい。

そういうことが英語圏では常、ということである。

図太さが大事。しかし発音を磨く必要もある

今回の一連の議論を見ていて、やはり自分が感じたのが、長野氏と同様に「日本人は牽制するかのように他の日本人の英語に厳しい」ということだった。

これは自分にも記憶があることで、米国MBA帰りという同僚の英語を聴いては「大したことがないな」と粗探しをしている部分があった。

今にして思うと、これこそ英語コンプレックスで、英語力とか英語センスで優劣を意識しているところがあった。

しかし、海外経験を積めば積むほど、「他の日本人に自分の英語がどう思われるか」ということが実に大したことなくなってくる

なぜなら「所詮、英語なんて会話のツールに過ぎない」と実感するからである。競争するようなことではないのである。

自分が言いたいことが伝わればいいのであって、ネイティブのようなリズムと発音で話せるから素晴らしい、という価値観でもなくなってくる。

件の日本人記者も、そういう境地に至ったからこそ、堂々とひるむことなく質問を続ける心臓があったのだと感じる。

そしてそれが日本人全体の英語力の底上げには非常に重要なことだと思う。

ただ。

発音とかアクセントなんてどうだっていいのだ、ということにはならないとも、思う。

そして事実英語圏ネイティブはどんなに立派な語彙力、完璧な文法で話していても、それが「何言ってるかわからん」というように聴こえるアクセントだと、一気に拒否反応を持つ人が多いのも事実だ。

よく、「インド人も強烈な訛りがあるけど堂々としているから、自分たちも堂々と日本人英語でいい」という人がいるが、実感としてこれも違うと思う。

インド人英語は、一大勢力として、かなり認識された英語なのである。

だからイギリス人もインド人の英語は難なく聴き取っている。しかし日本人英語はそうはいかない。

実際、「英語として聴こえる」ならば、語彙が幼稚でも、多少文法が破綻していても、一気に聴く姿勢になるネイティブは多いと思う。

極力なめられたくないならば、やはりそれなりにトレーニングはした方が良いと思う。

 

racismの範囲が広がりつつあると感じた、今回の騒動。

自分は英国に留学もし、その後別の欧州国に滞在していたことで、時々日本人から「人種差別されるか」と問われたことがある。

その度に「いや、あまりないよ」と答えてきた。

しかし今回のこともracismだ!と叫ぶアメリカ人の発言を見ていて、「これもracismなのか?だったら英語圏はracismに満ちてはいるな」と感じた。

実際、肌の色であからさまに差別するというのは、英国でも犯罪となるため、なかなか起こらないことである。

一方で「英語が十分でないことでなめた態度を取る」ということだったら日常茶飯事で、自分はこれは肌の色ではなく英語力で差別しているので”racism”ではないと考えていた。

しかしこのことを深く考えていると、上に書いたようにアジア系やアフリカ系の芸能人が日本語が少し幼稚なことで「いじる」、あの現象の根幹にあるのは何だろうか?と考えるようになった。

そこからいくと、あの場で、日本人記者が英語で質問していることに十分なリスペクトも示さない言い方、”I really don’t understand you”は広義のracism意識が含まれているとは言えるのかもしれない。

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