先日、とあるSNSを見ていたら、海外在住で英語が話されている職場で働く人が
と書いているのを目にした。
この「イラッ」という気持ちはとてもよくわかる。
基本的に英語圏の人間は「人は英語を話そうと思えば話せる」と思っている節がある
これはアメリカという国が世界各地から移民してきて代を重ねて英語を母語にしていることや、英国が世界中を植民地にしまくって次々に英語を公用語にさせていったことが大きいと思う。
例えば、アフリカの旧英領諸国の人にとって、英語は外国語ではなく自分の言語である(ごくローカルな部族の中だけで暮らしている人は除く)。
それらの国々は、元々違う民族、言語だったところを、勝手にヨーロッパ諸国が分割するために国境を引いていったので、部族語では同じ国でも通じないのだ。
そこで彼らは学校では英語を使って全教科を学んでいく。部族語はあくまで身内や近所で使う言語に過ぎないのだ。
日本で最も近いイメージといえば、沖縄の人にとってのウチナー語と考えてもらうといいかもしれない。
ただ、これもその他の地域の方言とは一線を画しているほど標準日本語とは違うという意味だが、それでも言語構造的には同じ括りで、多くの語彙だけが異なるという程度なので、アフリカの人の「部族語と英語の違い」とは次元が違う。
それでも、英国のMBAでケニアやナイジェリアからの留学生と接したが、彼らは英語ネイティブという自覚である。その中の1人は同じナイジェリア人の奥さんがいたが、部族語が異なるので夫婦間も英語だし、生まれた子供とも英語である。
彼らはMBA修了後に帰国していったが、英国にはこうした旧英領からの移民が昔から多く(これは近年の難民とは異なる)、
国なのである。
またアフリカだけではなく、旧英領といえばインドも有名だが、インドもまたヒンディー語だけではなくベンガル語、タミル語など何千万人級の言語から、500万人級の言語を数えても20以上の言語があるので、インド国内でもよほどローカルに生きるのでなければ英語は必須だし、英国の移民系といえば最大勢力だが、もちろん彼らは英語のネイティブと自認している。
これはどういうことかというと、彼ら自身が
という状況であり、また元々英国人の家系(要するに白人)の人たちも、彼らのことを見ているので
という感覚があるのではないかと思う。
ヨーロッパ言語以外の外国語に全く関心を示したことがない層(これが圧倒多数派である)にとってはアフリカの部族語も日本語も同じようなもので、深く考えてくれたりはしない。
殆どのヨーロッパ言語人は、日本語を母語としてヨーロッパ言語を習得する感覚がわからない
上記のように、こちらが英語を話すのを当然と考えている人々に釈然としない気分になることは多々あり、時々自分が「英語は第一言語ではないから」と理解を求めるように言うことがあったが、英国人の場合
そうだよね、自分もフランス語(ドイツ語)やったけどさ〜、それでMBAやるとかビジネスやるとか考えられない
と感心されたり、ある程度フランス語使える人に
自分もフランス語使ってるからわかる
と同意されたりする。
これはこれで、「一緒にすんなよ…」「いや、そんなもんじゃないんだよ」という感じで気分は晴れない。
もちろん自分自身もMBAの後にフランス語圏に住んで、仕事の傍ら語学学校で勉強もしたから言語の系統が違うのもわかるし、英語にはない活用などが大変なのもわかる。
しかし、日本語という根本的に違う言語と英語との距離は、ヨーロッパ言語間の距離と一緒にできるようなものではない。これは英語とフランス語をやってみての感想である。
そこへいくと非英語圏のヨーロピアンに
英語は自分も頑張って勉強した
と言われても「その頑張りのレベルが違うんだよ」と言いたくなる。
ちょっと英語と離れると、フランス語学校に行っていた時に、あるスペイン語圏の国から来ている人に
というようなことを言いかけたら、言下に
スペイン語はフランス語と全然違う言語だ
と言い返されたことがあった。
そりゃ違うのは知ってるが(ロマンス語の中でもスペイン語はポルトガル語やイタリア語の方が近いのも知っている)、文法体系的には同じロマンス語系と括られているし、何より
と言いたくなった(まあもっと婉曲に言ったのだが)。
もちろん他の人は、さすがにそこまで認識が低くはなかったが(中国語を勉強することを考えたら、あなたとは立場が逆転するだろうね、とよく言われた)、まあ結局のところ日本語のことなど一切考えたこともない人が、そこまで想像してくれることはないのである。
日本語がかなり話せるフランス人に日本語でテキストしたら「わからない」と言われた衝撃
フランスで、グランゼコールという種類の学校(フランスでは大雑把に言うとソルボンヌなどのuniversitéと呼ばれる大学ではなく、Grandes écolesという高等教育機関に行くのがエリートとされている)を出た人で、在学中には日本の某一流大学に1年の交換留学をしていた、という人と知り合った。(工学系)
彼はかなり流暢な感じで日本語を話していたので、ふとテキストメッセージを日本語で送ったことがあった(軽い内容だったと思う)。
すると返事がなかなか来なかったので、英語で追加でテキストしてみると
実はさっきの日本語が理解できなくて調べようとしていた
と返ってきた。
そこまで難しい漢字も使っていなかったし、あの感じで話している人が、この日本人なら小学生でも読めそうな内容がわからないのか、と少し驚き、
と聞いたら、完全にそうだ、と返ってきた。
ここで改めて考えてみたのだが、日本人は逆であると思う。
TOEICなどではListeningの方がReadingより平均点が高いと言われるが、これはListeningの方が得意ということではなく、単純にリスニングの方が内容が簡単というのと、リーディングは速読できなくて時間切れになる人が多いからだと思う。
これはどういうことかというと
ではないかと思う。
まず、漢字という表意文字を使っているという点と、中国語と比べても音が少ないために同音異義語がめちゃくちゃ多く、発音だけでわからないことも日常的に出てくる。
そこで、小学校中学校と進んで漢字テストに取り組みながら日本語の語彙が増えるにつれて、徐々に頭の中に話してる、聴いてる言葉の漢字などの文字が浮かぶような言語思考になっているのではないだろうか。
ここは個人差があるのかもしれないが、自分はそう考えている。
だからたまに、聴く話す英語力よりも読み書きの方ができる、ということが理解できない人に侮られて、「これ理解できる?」と不安そうにされたり、書いたものを「あなたが書いたのか」と不審がる人に会うこともある。
中国人(華人)の方が圧倒的に耳がいい
ちなみに英語でもフランス語でも中国人や華人は喋れるようになるまでが早いと思う。
中国語はもちろん漢字の言語なのだけど、日本語のように漢字にいろんな読み方があるわけでもない。その代わり音は日本語とは比較にならないほど多く、母音だけで36もあるという。
自分はフランス語の母音の聴き分けには未だに「?」だらけで、これはマスターできる気がしない。
しかし中国人にとっては同じ時間だけ取り組めば10倍速く習得できるのでは、と思っている。
かといって、SNSなどで彼らの英語やフランス語を読むと、結構文法的に雑なところもあり、それだけだとそこまで上級という感じがしないこともある。
しかし喋ってみると日本人とは雲泥の差(もちろん個人差はあるが)。
西洋人から見ると、中国語と日本語というベースの言語の差などわかる由もないので、単に
になるだけである。
以上、残念な話ではあるが、日本人にとっての英語へのハードルの高さは理解されない。
試練だと思ってヨーロピアンより、中国人より、時間をかけるしかない。
発音練習をするとリスニング力は上がる。
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