40歳も過ぎた今、MBAを取得してから何年も経ち、現在も日々英語を使って生活している。
自分にとって英語は第一外国語というよりは、すっかり第二言語として馴染んでいる。ニュースソースもBBCやNew York Timesを見る方が精神的に落ち着くし(日本語のメディアだけ見ていると、あまりにも片手落ちな気分になってくる)、今学んでいる別のヨーロッパ言語を勉強するのも英語の参考書を使っている(日本語のテキストを使うと文法用語からして無駄に難しく思えるが、英語だとスッと入ってくる)。
昔のように、英語で話しかける前の心理的準備は全く必要としなくなって、当然のように英語が自分の口から出てくる。
まだまだネイティブ並みとはいえないが、英語に対して全くストレスがない状態になっている。
そんな自分だけど、30歳前に受けたTOEICでは500点にも達しなかった。そしてそこから700点台まで行くのに、実に1年以上かかったのを記憶している。
それなりに英語に触れてるつもり、アメリカ人との交流もあったのにTOEIC495点を取った時の衝撃
この時のことは実に10年以上前のことにもかかわらず、受験最中の時から覚えている。
何しろ、リスニングがPart3, 4になるに従い、さっぱり理解できなくなっていた。そしてリーディングに差し掛かると、もう完全に疲れていて、こちらは普通に理解はできるがスピードは保てない。
これでも大学受験の時にはセンター試験の英語(まだリスニングは導入されていなかった)で200点満点中190点以上、入学した大学も「●大学の英語」などと出版されたりするような英語の試験が難しいとされるところだった。その勢いと若さゆえのテスト体力で大学時代は就職のためにTOEICを何回か受けて大体700点台だった。
「英語に触れていなければ学生時代より下がるのは当たり前だろう」
という声も聴こえてきそうだが、実は一般的な日本人よりは触れていた方だと思う。
というのも、出身大学名のせいで(とは言っても、英語学科だったわけでもなく、特別英語を勉強していたわけではない)度々「英語ができるんだろう」という扱いを受けていたからである。
そのため、一応ケーブルテレビに加入してCNN放送を流してみたり、ふと知り合ったアメリカ人との交流もあって、彼は日本語を勉強していたので日本語も交えていたのだが、それなりに英語を話す機会を持っていると思っていたし、今思えばお世辞なのだが相手にも「君は珍しく英語が話せる日本人だから」などと言われていた。
しかし、時折、複雑なことを話せないでいることにも気づいていた時だった。
例えば、時は秋篠宮家に男子が生まれたばかりだったのだが、その話に触れることがあった。小泉首相によって皇室典範が変えられようとしていた時に懐妊がわかって、驚くべきタイミングだったこと。皇室にはずっと女子しか生まれておらず、男子の誕生はその父親の秋篠宮以来であったこと。継承の根拠がヨーロッパと日本で違っていたので皇室の男系維持は一般の男女平等とは別次元のことと考えられているということ。
こうしたことを話そうと思うと、非常にカタコトになってしまい、それだけのことを伝えるのに30分もかかったことを今でも覚えている。彼の方がこちらが何を言いたいのか理解してくれようと、色々助け舟を出したり質問をしてくれる。それに答える形でどうにか伝わったという感じだった。
彼と友達のように連れ立って歩き、居酒屋で時を過ごし、それなりに会話しているつもりだったが、今思えば
That’s good
Are you ok?
Really?
Yeah
it’s not expensive
のような短いフレーズを言っていることがほとんどだった(汗)
彼のように日本語と日本人との関わりに興味があるタイプじゃなければ、友達づきあいはできなかっただろうと思う。
「TOEICと本当の英語力は関係ない」などと現実逃避せず、自分は英語ができないという事実を受け入れたから今がある
よく、「TOEICと本当の英語力は関係ない」という意見を聞く。自分はこれはある意味本当だとも言えると思う。
それは「TOEICで高得点でも実際の英語運用力があるとは限らない」という意味で本当という意味。
実際に900点を超える人でも話せるとは言い難い人は多いし、書いている英語を見ても不自然だったりする。
しかし、逆は真ならず、なのだ。
つまり、本当に英語ができるのに、TOEICごときで低スコアということはありえない、ということである。
もちろん、TOEICに特化した勉強ばかりしていて満点の990点を取る人より、ぶっつけ本番のような感じで受験して920点という人の方がずっと運用能力が高い、ということはあると思う。そういうレベルでの「TOEICのスコアで英語力は測れない」というのは事実である。
でも、「英語は喋れますがTOEICは600点いきません」というのは断言するがありえない。
その喋れる、というのは上に書いた自分のような例で勘違いしているのだと思う(汗)。
旅行での定型のやり取りが成立する程度のことも「喋れる」とは言えない。確かに日本人はそれさえもできない人の方がずっと多いので、勘違いしてしまうのだが…
話せる、というのは英語講師でも何でもないネイティブに、自分が日本語でいつも話してるようなことをそんなにストレスなく話せることだと思う。相手が辛抱強くなくても会話が成立すること。もちろん日本語よりは多少回りくどくなったり、少し語彙を考えてしまうことはあっても、意見をちゃんと伝えたり、住んでいれば日常的に発生する細々とした交渉ごとも言いくるめられず通せること、大人としてそれくらいが普通にできるようでなくては話せると言えない。
低スコアにショックを受けた後、目標にしたこと
それは決してTOEICのスコアを上げる、ということではなかった。
もちろん海外折衝のある仕事に憧れて転職を考えていた時期であったからTOEICのスコアは早急に上げたかったが、最終的な目標、つまり本当に英語を使いこなせるような人間になる、ということを見失わないようにしようと決めたのだ。
つまり、英語力自体が上がった結果、TOEICも900点取れるようになった、という形を目指そうと考えた。
TOEICだけのスコアを上げたいなら、
でも書いたが、TOEICテスト公式問題集を繰り返しやったり、TOEICと銘打たれた対策本をやるのが最も効果的だし近道だと思う。
しかし、それでは自分には意味がなかった。TOEICのスコアを買われて転職を果たした後、実際に英語で仕事をしたかったからである。
そのため最初に取り組んだのは、
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で兎に角練習し、きちんとした発音ができるようにと心がけた。
同時に当時出回りだしたmp3プレイヤーを買って通勤時間を利用して取り組んだのが
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であった。基本的な英文のみ収録されているのに、音源がナチュラルスピードというのが気に入ったのだ。
こうして、徹底的にオーラル重視で英語の基礎工事に取り掛かり始めたのだった。
続く。
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