なぜ、そんなにすぐにMBA留学に向けて動けたのか。既にある程度英語ができたからである。

自慢に思われるかもしれないが、結局そういうことなのである。

英語ができたと言っても、ペラペラというわけでもないし、映画を字幕なしで見られるということでもない。ただ仕事などある程度の共通見解があった上での話ならできるとか、旅行で普通に係りの人に尋ねたりできるとか、ホテルの受付と1分ほど談笑するとか、読んだり書いたりに抵抗がない、という程度なのだ。

だから英語ができる人から見たら「ある程度できる、だなんてよく言えるものだ」という程度の英語だったし、今の自分から見てもあれは全然できるとは言えなくて、むしろちょっと勘違いさえ入っていたと思う。

だが、それでも日本人全体の中ではかなりできた方で、思い立って動けたのである。

それまで語学留学などしたこともないし、もちろん帰国子女でもない。

ただ、独学していたのだ。

 

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英語学習ほど充実感を得られるものはない。周囲の嫉妬は無視すべき

自分は転職のために働きながら英語学習に集中していた時があった。仕事と英語学習という二つをメインに生きていたと言ってもいいし、何なら仕事は生活を続けるためのもの。

何なら気分転換に仕事、気分転換に英語、という感じで、双方のやることリストをコンプリートするのが楽しい毎日。

別に飲みに行く必要もないし、お笑い番組を見たいとも思わない。

何故なら、英語学習という、やればやるほど伸びるということに没頭して、目標までの道筋が見えやすかったし、きっと目標に到達すれば転職も可能になって、もっと人生は明るくなると信じていた。

こういうことに冷や水を浴びせる声がある。

「英語なんて今時いっぱいできる人がいる」

「英語だけできても意味がない」

「今更頑張ったって、英語なんて帰国子女だったら誰でもできるようなことだよ」

などなどなど…

私は声を大にして言いたいが、

そういう声は単なる嫉妬なので無視した方がいい。

本人は嫉妬している自覚などさらさらないのだが、こういう人種というのは現実主義を嘯きながら自分の不安を上から目線で他人に意見することで紛らわせてるタイプ。

自分自身が英語にコンプレックスがあるので、他人が素直に向き合って頑張っているのを見ると不安でいられなくなるタイプなのだと思う。

実際に、英語の勉強やーめた、じゃあそんな悪友と飲みに行こうか、となって、人生が良い方に変わるのだろうか?

そんなわけはない。ただただ刹那的な楽しみに興じて日々過ぎていくだけだ。

だけど英語をやることで、全員が劇的に人生が変わるわけではないが、確実に世界は広がるし人生の可能性も広がる。

転職とかMBAとか大きな変化ではなくとも、少しでも自分が何かに向上しているという充実感を持った毎日を送れるのは、ただ飲みに行って愚痴に興じるよりも、はるかに楽しいことである。

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