子供の英語教育は完璧でなくてもいい–むしろ音楽の習い事が有効では

以前、

幼児英語教育に関して思うこと。林修氏の主張は正しいのか?
これって、喧々諤々のテーマで、非常に難しいテーマだと思う。 以前も、林修氏が「低年齢の英語教育は思考力形成を阻害する」といった持論を展開していた。 同時に「特に英語耳を鍛えられるのは幼児期までで、ある年齢を超えると難しい」という...

↑のようなポストをしたのだけど、この記事は当ブログでも常にアクセス数上位3位に入る人気記事である(まあこのブログのアクセス数自体がしょぼいのであるが)。

このブログは基本的に、大人である自分が一念発起して英語をやり直し、MBA留学を果たして現在に至るという経験を書いてるものなので番外編的なものだったのだが、林修氏の名前を出して語ったのが良かったらしい(感謝…)。

そこで今回は、幼児英語教育について最近考えている

音楽系の習い事が有効なのではないか

ということについて書いてみたいと思う。

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日本人はリスニングに難がある

これは紛れもない事実である。

自分は英語だけではなく、アラフォーにしてフランス語も始めたのだが、文法も厄介ではあるが厳しいのは発音とリスニングである。

発音とリスニングは一体である。

発音が上手くないのはちゃんと聴けていないからである。この発音のまずさというのは、「インド人だってインド訛りがある!アフリカの人だってアフリカ訛りがある!」みたいなのと同列ではなく、通じないものなので開き直るべきではない。

インド人訛りと日本人訛りの英語は別次元なので開き直ってはいけない
時々、「英語は英米人だけの言語ではない。世界の共通言語なのだから、いろんな訛りがあるのだ」と言って、自分の日本人訛りを気にしない人がいる。その考え自体はその通りだと思うのだが、現実には「インド訛り」というのはあっても、「日本訛り」というものは確立しえない。これは同じ次元ではないのだ。

なぜリスニングに難があるかというと、日本語は音が少ないからだと思う。そして子音+母音のワンセットで1音節としている言語で、母音の伴わない子音などをとらえづらいからだろうと思う。

例えば、bestという単語をベストと置き換えると、Be/SU/TOとなってしまう。しかし実際のbestはsもtも母音を伴っていないので、suやtoしか認識できない耳だととらえづらい。

しかもbestは音節的には1音節の単語である。しかしBe/Su/Toという発想だと3音節になってしまう。

(実際にはbestは簡単かつ短い単語なので認識されるが、あくまで例として)

ここらあたりが日本人が発音に難があり、リスニングも苦手な所以である。

ちなみにTOEICでリスニングの方がスコアが上だからといっても、それは単にTOEICのリスニングの内容が易しく、またリーディングは時間切れなどでスコアが押さえられているからに過ぎない。

実際同じ内容であれば日本人は読む方が圧倒的に理解できる。

自分はフランス語の学校でつくづく思ったが、その点中国人はやはりリスニングの伸びは一般的に日本人より早いと思う。

やはり彼らは自分の言語の発音が複雑なだけあって、音をとらえる耳は全般に優れていると思うのだ。(もちろん個人差はあるし、中国人一般は日本人と同じくらい下手だが、一旦力を入れて勉強したら、の話)

聴く力があるかどうかでインプット量が全く異なってくる

読んでいても、もちろん語彙は増えるのだが、聴く力があるとインプット量は段違いに多くなると思う。

単に単語ごとの聴き取りができるようになるのではなく、フレーズごと、イントネーションごとに頭に残り、より印象的に記憶できるからである。

これは子供がどのようにして母語を話していくようになるかを考えるとわかる。

読み書きで語彙を増やしていくのは生まれて5〜6年は経ってからである。

それまでは親など周囲の人間のシンプルな指示(座って、起きて、など)を繰り返し聞き、その口真似をするようになって話すようになっていく。

徐々に幼稚園などに通って年齢に応じて語彙が増えていき、聴いて覚えるということをした後に読み書きを覚えて、自分がそれまで聴くことによって認識してきた言語と読み書きが合致する感覚を得る。

そうしてインプットのチャネルが増えるのだが、基本的に「聴いて覚える」ということはいくつになっても続く。

時には聴いて「何だろう?」と思っていた語彙をあとから字面で確認したり、辞書を引いたりするという2段階を経て定着するということも多い。

つまり、聴くというのは語彙への「出会い」そのものに近く、その後の確認でよりget to knowという感じである。

それに比べると何かを読んでいて未知の語彙に出会うというのは「見かける」とか「すれちがう」というような感じになることが多く、もちろんそれで出会いになっていくこともあるのだが、聴くほどには残る確率が低い、と個人的には感じている。

一般的な幼児英語教育で実用英語力まで持っていくのは難しい

身近な子供の例を見ていても、週に数回、1時間のレッスンなどで実用英語力を身に付けさせる、ということは不可能である。

たとえば毎日オンラインレッスンでも受けさせれば、多少の英語力は身につくかもしれない。

でも、それでもネイティブや、インターナショナルスクールに通う同年齢の子供みたいに英語が話せるようになるわけではない。

当然のことだけれど、彼らは学校で英語を使い、学年に合わせて学校でやっていくための英語を日々身につけているのだから、それは到底日本の学校に通いながら片手間のレッスンで身につくようなものではない。

その代わり、日本の学校でやっていくために日本の子供は毎日漢字テストに取り組み、日本語の教科書を読み、作文を書いて、学年に合わせて日本語のレベルを上げていかなくてはならないのだ。

そして幼児〜低学年頃までは英会話レッスンなどをしていても、徐々にそれどころじゃなくなってまず目の前の中学や高校受験などに目を向けて、受験の点数アップにそれほど貢献しないレッスンはやめてしまうことが殆どだと思う。

そうしてブランクがあいて大学生以降に、再び英会話を始めようと思った時、多くの人が

子供の頃に英語を習っていたんだけどなあ

と、その効果があまり残っていないことに愕然とするのではないだろうか。

大人になって歌で発音や音節などをつかんでいった「英語耳」

自分はこのブログで何度か

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を紹介していて、巻末での発音練習も役だったのだが、歌で英語を覚えていくというのを味わった。

これをやらなかったら、もしかすると一生発音は悪いままだった
この本は自分の英語力を劇的に変えた本の一つだと思っているし、これがあったからこそ、後にオンライン英会話をやるようになって講師達に「発音がいい」と褒められたり、MBAでイギリス人やカナダ人のクラスメートに「前にも英語圏にいただろう?他の日本人に比べて発音がいいから」と言われるようになったものだと思ってる。

歌で英語を覚えるというと、何となく軟派な感じがしたり、気恥ずかしい感じがして敬遠する人も多いかもしれない。

けれど結局、「歌を歌手の通りに真似る」というのは子供が周囲の人間の言うことを聞いて真似して言えるようになろうとして、徐々に話せるのと似てる。

日本に住んでいる日本人の大人が、抵抗なく繰り返し聞いて真似しやすいのが歌というわけなのだ。

自分はこの本を素直にやって、後々MBA留学した際にイギリス人やカナダ人などから

初めて英語圏にやってきたようには聴こえない、もっと若い時にも留学してたかと思った。他の日本人学生とは違う

と言われる程度にうまくなった。といっても、当時の英語力などまだまだで、よくボロは出していたのだが、その後MBAを修了し、フランス語圏に移動してフランス語を勉強しつつも仕事では英語を使いながら、徐々に「単語帳などを見ながら覚えていくよりも、聴いて引っかかって頭に残ったり、同僚の口癖が移ったりする」ようになってきた。

そこで、色々振り返って思ったのは

幼い頃に英語教室も行っていたが、バイオリン教室に行っていた

というのは割と有効だったのではないか?という仮説である。

バイオリンの調弦は自分でしなければならなかったので、当時は合わせるための笛を吹きながら微妙に調整していく必要があった。

正直、今では全然弾けないし、絶対音感があるかもよくわからないが、割とリズムなどには敏感だし、昔から軽く人のモノマネ(話し方などを真似る)をしてきて「似てる!」と言われたのだが、割と特徴を掴むのがまあまあ上手い方なのである。

とはいっても、所詮その程度なので、今でも英語・フランス語とも苦労の連続ではあるが、音楽系の習い事でも一番効果がありそうなのは声楽だろう。

イタリアやドイツ語圏に留学している声楽の人たちは、明らかに普通より早くイタリア語/ドイツ語ができるようになる、と聞いたことがある(もちろん並々ならぬ努力があってのことだと思うが)。

そういうわけで、英語教育に力を入れても実質的な効果を大人になるまで残せないのであれば、潜在的にリスニング力に影響を及ぼしそうな音楽系の習い事をさせてみるのも良いのではないか、と思える今日この頃である。



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